7年前

私達家族も被災したが

運が良く

誰一人欠ける事なく

あの日の夜を迎えた

 

達磨ストーブのオレンジの光が 

命の有難さと

家族の大切さを見に染みて感じさせてくれた

 

暖かい食べ物

安心した

電気が付かなかったから

現実が見えてなかった

ただ、皆で一緒にいる事に安堵していただけだった

電気がついたのは3日目…

テレビがついて初めて

津波の惨状に体が凍りつき

自分の目を疑った

これが今起きてる現実なのか

 

その時私達家族は あの大地震が起きて初めて町に出た。

自分の町に、あるべき所にはなく、無いはずの場所に色々なものがありえない向きで置き去りにされていた

津波は自分達の目と鼻の先まで迫っていたのだ

 

暗くて寒くて家から出なかったから

何も見えてなかった

 

それからはガス、電気、水の順番で復旧していった

私達は、自分の家があったから幸せだった

家族がいたから幸せだった

ストーブで暖を取り、暖かい食べ物を口に出来て幸せだった

 

不便な事は山のようにあったが、家族を亡くしたり、避難所で生活したり、家が全壊したり、水に浸かったり、そんな人達に比べたら何も言えない

ただ、今ある自分達の幸せに感謝して

ただ色んな事を飲み込んで

踏ん張った

 

地震の最中

車を運転していた私は、道路が、地面が波のようにうねる中電柱が倒れてくる恐怖に手を震わせながら、子供のお迎えのため保育園に向かっていた

車が動かせない

道路のうねりが大きくて

地面が所々ひび割れて 車を進める事が出来ない

迂回して迂回して

何が何でも子供を助けに行かなければ

それしか考えてなかった

 

保育園に着くと

グランドの真ん中で丸くなった子供達が泣き叫んでいた

その中から自分の子供を探し出し

抱きしめた時には本当に安心した

 

余震が続いている中

自宅に戻り家族が揃った

 

そこからは先に述べたとおりだ

 

3.11

 

命ある事を感謝して

哀悼の念を忘れない

いつまでも これからも