父の最期

病室で私と母と妹
そして、薬で眠らされている父

今私達は、今後について話し合っている
もう、幾ばくもない父の時間を自宅でどのように過ごしていくか…
ゆっくりと時間をかけて話している

その時母が「もう楽にしてあげたい。見ていられない。」と、言った
妹も「私も。」と、言った

父の病気から目を背けて
看病からも目を背けて悲観ばかりしていたこの人達が楽にしてあげたいと言った

楽になりたいのは誰?

私は悔しかった
弱い彼女達が羨ましかった
三年に渡る闘病生活
父のごはんを作り、病院に付き添ったのは私だ
もちろん母は父から離れなかった
ストラップのようだった
ただ、ブラブラとくっついてるだけだった
辛い所も見てるだろう
弱音も吐かれただろう

ただ、胃の全摘の術後、父が喉が渇いても水も飲んではならず、もちろん食べ物など食べられない(けれど食べたい欲求はある)その状況で、「お腹空いちゃった(*^^*)」とタコ焼きを目の前で食べられる無神経な女だ
妹は普段海外に暮らしている

身体の弱った父が、そんな母の看病に白旗をあげ、相入れることのない私に看病を頼んで来たのだ

私は、父や母が憎かった
だけど、人の最期は安らかであって欲しいと願う
私は黙って受け入れた

母は妹に愚痴っていたのだろう
示し合わせたかのように楽にしてあげたいらしい
彼女達曰く、それは父への優しさに他ならない

私と父は、とても濃い時間を過ごしていた
病院への道中(母は爆睡)
病院での待ち時間(母は飽きる)
手術の説明(母は泣くばかりで話にならない)

その中で、口癖のように、自分に言い聞かせるように、父は言う
「俺はまだ死ねない。やる事があるからな。絶対死なないからな。」
「分かってるよ。」
私達の合言葉だった

母には、私が悲観しない事への不満があった
情の無い子だと

そんなものあるわけない

だから淡々と出来たのだ

私は、1人の人間の最期を看取る役として父の側にいたのだ
側にいて
とても尊敬出来る人だった
だから誠心誠意父に尽くした

父は母をとても愛していた
だから…
私は理解した
母の気が済むためには、私という人形が必要だったのだと

私は、泣きながら訴えた
最期まで頑張らせてあげて
あと少しだけ我慢して
お父さんは最期まで頑張りたいんだよ

父の余命が1カ月を切った頃に一時帰国した妹と、母は首を縦に振ってはくれなかった

その日が父の最期となった

父は、自分で逝ったのだ
最期まで頑張れたのだ

最期…
なぜか人前で粗相はしたくないと、頑なにトイレに行こうとする父
もちろん、そのような事が出来るはずもないが衝動は止まらない
「お父さん、ここはトイレだよ。
……。もう綺麗になったよ。もう大丈夫だよ。
もう大丈夫だよ…。」

私がそう言うと、父は安心したように「そうか…。」と言って目を閉じた
それから、ハッハッハッと荒く息をして最後に魂が抜けるように深い息を吐き出し…逝った

安らかな最期だった…

そして母は言う
「後悔してる。もっと色々やってあげれば良かった…。」

私に悔いはない。
ざまあみろ!